一生こうやってサッカーやっていたいよ。
年なんてとらないでざ。
小学生の頃に始めた吹奏楽を今でも続けられている藤井さん。昔から音楽や絵といった芸術分野に興味関心があり、吹奏楽の他にも、学生の頃から美術の展覧会などに良く足を運んでいるそうです。美術館の中でも総務という仕事を通して、また違った方向から間接的に芸術に関わっている藤井さんのお話は、私自身が芸術に興味があることもあって、多くのことを考えさせられました。
鹿島アントラーズジュニアユースへの入団
僕は小学校1年からサッカーを始めたんですけど、進学した中学にサッカー部がなかったんですよ。そんなとき父が、鹿島アントラーズのジュニアユース(中等部)の選考会の記事を見つけてきて、「これに合格すればこれからもサッカーできるんだな」といった軽い気持ちで参加したら、受かってしまったんですよね(笑)。そこからは生活がサッカー中心になっていきました。だけど、これが単純な話じゃなかったんですよ。住んでいた高萩市から鹿嶋市までは距離があるので通うことができなかったんです。結果、僕と母が鹿嶋市で2人暮らしをして、父・兄・弟の3人が高萩市に残るという生活を余儀なくされました。さらに弟は当時まだ小学生だったので、週末に父と母が入れ替わるといった生活をしていましたね。
そんな中でアントラーズでの選手生活が始まりました。すぐ隣でトップチームの選手が練習している環境はやはり特別でした。毎日楽しく、必死にサッカーに打ち込んで、ユース(高等部)にも昇格して...当時、高校日本代表にも選出していただくことができたので、卒業の頃にはそのまま鹿島アントラーズとプロ契約するという話になっていたんです。
俺にはもうサッカーしかないから...
しかし、この話が急きょ白紙になったんです。正直、挫折というか、「何で...?」といった感情でしたね。大学進学なんて考えもしなかったですし、勉強も苦手だったので、学生生活を再開するイメージも湧かなくて...。ただ、そんなとき背中を押してくれたのが両親でした。「今回の件は残念だったな。遠回りかもしれないが大学に進学してもう一度プロを目指しても遅くはないんじゃないか?」と言ってくれたんです。それで、大学に進学しましたが、入学してからも最初の2年くらいは、プロ契約を結べなかったことを引きずってましたね。サッカーを辞めようと本気で思ったこともありました。でも、両親が今まで自分の為にしてくれたことを思い出すと、プロを諦める訳にはいかなかったですね。鹿島時代のファンが大学の試合へ応援しに来てくれることもありましたし、プロに上がった同期が活躍する姿も刺激になりました。「もし俺がここでサッカーから逃げたら、どれだけの人の想い、人生が無駄になるのだろう...」そう思えたことで、自分の中で、一つ何かが変わったんです。
大学4年生になっても「俺にはもうサッカーしかない」と就職活動をしませんでした。ダメなら、またその時考えようって(笑)。そんなとき最後の最後で、スカウトさんに声をかけてもらって水戸ホーリーホックの練習に参加したんです。それがきっかけで、念願のプロ契約を結ぶことができました。
サッカーができる幸せ
「毎日を必死に生きる」今の仕事はこれに尽きます。結果を出したヤツだけが残っていけるという世界は、他ではなかなか味わえませんから。なりたくてもなれない人がいる中で、こうして大好きなサッカーでご飯が食べられる幸せを噛みしめながら、日々生活しています。
ただ、僕はもう今年29歳になりますし、ありがたいことにこのチームでキャプテンもやらせてもらっています。だから、自分のために生きるだけではダメだとも思うんですよね。
後輩が先輩の目線に合わせることって無理なので、そこは先輩が後輩の目線に合わせてあげることがすごく大切なんです。今、後輩が歩いている道は、自分も通ってきた道ですから。その上で、口で言う前にまず自分がやるということ。口先だけじゃメンバーは付いてきてくれません。自分が率先して行動することで「大和田さんが言うなら...」って思ってもらえたら嬉しいですし。J2にもなると、どこのチームにもそんなに大きな実力差はないんですよ。ズバ抜けた選手が1人いるチームよりも、11人がまとまっているチームのほうが絶対に強いので、そこは常に意識していますね。
感謝の気持ちを忘れない。絶対に。
ファンの支えを、俺たち選手は絶対に忘れてはいけないと思っています。それが5万人だろうと3千人だろうと、来てくれたファン一人ひとりのために全力で戦うのがプロだと思ってます。例えば、俺たちにとって長いシーズンで、36試合中の36試合目でも、ファンの中には「初めてのJリーグ試合観戦」という方がいるかもしれないんですよね。家族への感謝は...言葉では表せないですね。だって俺だけのために家族全員が犠牲になってきているので。俺が鹿島へ行かなければ家族みんなでずっと暮らせていたし、母親を独占してしまったのも兄弟には本当に申し訳なかったなと思ってます。それでも、文句なんて一度も言われたことはなくて、今でも毎試合必ず応援に来てくれるんですよ。家族にはもう一生頭が上がらない。"感謝"という言葉でも表現しきれません。
勝つこと。夢を与えること。
やりがいは「勝つこと」ですね。なんだろうな、終了のホイッスルが鳴って、勝ったあとのチーム、ファン、家族...みんなで喜んでいるあの感覚が忘れられない。あの感覚あるから、どんなにツラいことも我慢できるし、立ち上がれるんです。
しかも、この気持ちは、サッカーを始めた小学校1年生の頃から変わらないと思います。小学生でもプロでも、J1でもJ2でもきっと変わらないんです。あの感動を味わいたくて、みんな必死になるんですよ。本当に素晴らしい時間が流れるんです。
俺にとって働くとは、「夢を与える」ことです。本当に最高ですよ!夢を与える仕事を自分がしているなんて。俺が小さい頃に夢見た存在に自分がなっているわけですからね!小学生のサッカー教室をしていると「自分も昔こんな顔してプロ選手を見てたんだろうな」って思います(笑)。
だから、最近はよく「このまま時間が止まってほしい」って思いますね。今が幸せすぎて、できれば一生こうやってサッカーやっていたいなって。年なんかとらないでさ。